シオーネ混声合唱団
SMC - Sione Mixed Choir Official Site
シオーネ混声合唱団は、静岡県掛川市文化会館シオーネを拠点として活動している、一般市民による混声合唱団です。
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■ 曲目の解説

 ●  混声合唱とピアノのための花に寄せて  星野富弘作詩 新実徳英作曲
   

詩画集「“風の旅”花に寄せて…はるかなる生命のうた」に収められた12の詩による、どこまでもやさしく、限りなく美しい7曲で構成された混声合唱組曲。星野氏の詩画集は、長い闘病生活中に見いだした想いを花々に託し、筆を口にくわえて絵とともに綴ったもので、私たちに生きる希望、生きる勇気を与えてくれる。1985年に混声版が初演され、1988年に女声版に、1990年には男声版にも編曲され、多くの合唱団で歌われ続けている(You Tubeで多くの演奏が確認できます)。詩にマッチした生き生きとした旋律とそれを支える和音の美しさは、作曲者のこの詩への熱い想いが感じられ、特に終曲は詩とメロディーが合致していて感動的である。


◇バロック&古典派時代の5大作曲家

   −−−−−1700−−−−−−−−−1750−−−−−−−−−−−−−−1800−−−―
    バッハ  ←―――――――――●――――――→
1685          1716        1750 
アイゼンナッツ      主よ人の、、、      ライプチヒ 
    ヘンデル   ←―――――――――――●――――――――→
1685              1724          1759
ハレ                       シーザー              ロンドン    
    ハイドン                         ←―――――――――●―――――――→
                     1732            1775        1809
                               ローラ                      ミザ・ブレ              ウイーン  
   モーツアルト                                ←―――――――●――――――→
                            1756         1791
                                         ザルツブルク           アベ・ベルム         ウイーン 
   ベートーベン                                        ←―――――――――――→
                                    1770              1827
                                                     ボン                       ウイーン 


   大作曲家どうしの交流のエピソード  
  18〜19世紀のクラシック全盛期は@バロック、A古典派、B前期ロマン派、C後期ロマン派と分けられ、各々は約50年という短期間となっています。また、その主な舞台となっているのは現在のドイツ・オーストリアを中心とした比較的狭いエリアで、それ故に当時から有名だった音楽家どうしはお互い面識があってしかるべきであり、事実そんな交流のエピソードもいくつか残されています。  
   バッハとヘンデル  
   後にバロック時代の巨星となる二人の作曲家は同じ年にしかも同じ国に生まれました。当時のヨーロッパではバッハよりもヘンデルの人気が圧倒的に高く、バッハはヘンデルの名声を強く意識していましたが、ヘンデルの方はバッハをあまり意識していなかったと言われています。バッハは1719年と1729年の2度にわたりヘンデルに面会を求めましたが、最初はすれ違いになり、2度目はヘンデルが何らかの事情で面会を断ったために、同時代に活躍しながらも生涯出会うことはなかったようです。  
   ハイドンとモーツァルト  
   二人はとても親交がありました。モーツァルトはハイドンの影響を強く受けており、お互い尊敬しあう間柄だったようです。年が24歳離れており、親子ほどの間柄であるにも拘らず、この二人は音楽史の中でも希に見る「肝胆相照らす」仲でした。ハイドンとモーツァルトが初めて会ったのはモーツァルト20代半ば、ハイドンは間もなく50歳になろうとする頃です。モーツァルトのハイドンに対する尊敬は、六曲の弦楽四重奏曲集(ハイドンセット)をハイドンその人に献呈したことに端的に表れています。  
   ハイドンとベートーヴェン  
   ハイドンはベートーヴェンをモーツァルトほど高くは評価できなかったようです。ロンドンでの演奏のために交響曲の傑作をいくつも書きますが、その作曲家としての活動はほぼ18世紀中に終わっており、ベートーヴェンの音楽に違和感があっても不思議はありません。1790年にベートーヴェンはハイドンに作品を見せて弟子入りを許可され、11月にウィーンに移住しました。ハイドンが60歳、ベートーヴェンが22歳の時でしたが、この師弟関係はそれほど深いものではなかったようです。  
   モーツァルトとベートーヴェン  
   音楽家・ピアニストとして人気を誇っていたモーツァルトにかねてから憧れていたベートーヴェンが、1787年にモーツァルトのもとを訪ね弟子入りを申し出たと言われています。モーツァルト31歳、ベートーヴェンが16歳の時のことです。モーツァルトは即興演奏したベートーヴェンのあまりの上手さに「この青年は立派な音楽家になるに違いない」と予言したといいます。しかし、母マリアの突然の訃報によってボンへ帰らなければならなくなったベートーヴェン、モーツァルトへの弟子入りは残念ながらかなわなかったそうです。  



Missa brevis Sti Joannis de Deo “ Kleine Orgelmesse

 

神に遣わされた聖ヨハネのミサ曲 “ 小オルガンミサ曲 ハイドンがこの "小オルガンミサ曲" 変ロ長調を作曲したのは 1775年頃(ハイドン43歳)とされています。いわゆる《ミサ・ブレヴィス》の形で書かれており、通奏低音の他はヴァイオリン2部の構成で、合唱とソプラノソロを伴います。歌詞の長いグロリアとクレドでは合唱の各パートに異なる歌詞を同時に歌わせてミサを短くさせています。 "オルガン・ミサ" という呼称に関しては、ハイドン以前の時代、器楽のみの楽曲を指すのが通例ではありましたが18世紀以降、これらの形式の楽曲をも指すようになりました。
この曲には "Missa brevis Sti Joannis de Deo" なる副題も冠されているのですがこれは、この曲が慈悲の友の会修道士の保護聖人Johannes Cuidadに捧げられたことによるものです。ハイドンは貧苦にあえいでいた少年時代にこの教会から幾度となく支援を受けたことがありました。このミサ曲はその教会(アイゼンシュタット「慈悲の友の会修道士の教会」)に対して彼の謝意を表わすために書かれたといわれています

 

ハイドン・小オルガンミサ曲

 

1Kyrie(キリエ) あわれみの賛歌        Adagio
2Gloria(グロリア) 栄光の賛歌           Allegro(di molto)
3Credo(クレド) 信仰宣言            AllegroAdagioAllegro
4Sanctus(サンクトゥス) 感謝の賛歌 I        Allegro
5.Benedictus(ベネディクトゥス) 感謝の賛歌 II   S.ソロModerato:合唱Allegro

 
● 

1. Kyrie(キリエ)(あわれみの賛歌)

 
    Kyrie(キリエ) eleison(エレイソン).    主よ、あわれみたまえ
  Christe(クリステ) eleison(エレイソン). キリストよ、あわれみたまえ
  Kyrie(キリエ) eleison(エレイソン).    主よ、あわれみたまえ
 
  フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn1732 - 1809  
   古典派を代表するオーストリアの作曲家。また、弟ミヒャエル・ハイドンも作曲家として名を残している。数多くの交響曲、弦楽四重奏曲を作曲し、交響曲の父、弦楽四重奏曲の父と呼ばれている。ドイツ国歌は彼が1797年に作曲したメロディーに、ハインリッヒ・ホフマン・フォン・ファラースレーベンが1841年に詩をつけたものである。  

 
 
 
 
 
 



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